2016年11月9日水曜日

ハロウィンは悪魔の祝祭だった!日本にハロウィンを定着させた仕掛け人は誰なのか?

日本に「ハロウィン」を定着させた「仕掛け人」は誰か

2016/11/1(火) 8:32配信



今年も大盛況の中で「ハロウィン」が幕を閉じた。

10月29日の深夜から30日未明にかけ仮装した人々が大挙して押し寄せた東京・渋谷ではおなじみ「DJポリス」も出動。駅前のスクランブル交差点が満員電車状態で、お祭り騒ぎが深夜まで続いていた。

そういうニュースを横目にオジさんたちが居酒屋でハイボールを傾けつつ、「我々が若かったころはハロウィンなんてなかったよなあ」とか「こんなに盛り上がったのはここ数年だろ」なんてトークに花を咲かしてることだろうが、このような認識が実は誤りだということをご存じだろうか。

日本の「ハロウィン」の歴史は意外と古く、オジさんたちがナウなヤングだったかなり昔から、一部の方たちの間では、そこそこ盛り上がっていたのだ。

なんてことを聞くと、40代くらいの方たちは「オレが学生のころってことは、90年代くらい?」と思うかもしれない。

確かに、東京ディズニーランドがハロウィンイベントを本格的に「目玉」とし始めたのは90年代後半。ハロウィンパレードの先駆けと言われ、今年史上最多13万人超の人出があったカワサキハロウィンがスタートしたのも97年だ。実際、30日に放送された『Mr.サンデー』(フジテレビ)では、「なぜ広まった?ハロウィーン20年前の原点」として、カワサキハロウィンを取り上げた。

ただ、番組にイチャモンをつけるわけではないが、「日本のハロウィン」の原点は20年そこらの話ではない。

例えば、1987年にはすでに東京・恵比寿や代官山で「地元の“秋祭り”にしたい」(東京読売新聞 1987年10月18日)という声を受け、2000人規模のハロウィンパレードが行われた。東京だけではなく、ほぼ同じ時期には、福岡・天神でも「天神ハロウィン」というイベントが行われている。さらに遡(さかのぼ)れば、1983年には原宿キデイランドでハロウィンパレードを催したという記録がある。イベント業界的には、「日本で初めてハロウィンパレードを催したのはキデイランド」というのが通説になっているのだ。

ちなみに、あまり知られていないが、「1983年」というのは、日本国民に「ハロウィン」というものの認知が爆発的に向上したタイミングでもあった。

前年12月に、映画『E.T.』が大ヒットしたのである。

●ハロウィン普及にチカラを入れていた「モロゾフ」

今の若い人には「なにそれ?」という反応だと思うので、ググっていただくとして、この作品の中で、瀕死のエイリアン・E.T.を大人たちの手から守り、どうにか仲間のもとに返そうと子供たちが奮闘するクライマックスシーンがあり、それが「ハロウィンの夜」という設定なのだ。

当時の『E.T.』人気はすさまじく、1997年に公開された『もののけ姫』に抜かれるまで、日本の邦画・洋画合わせた配給収入の歴代1位。このお化けヒット映画によって、「ああ、なんか分からんけど、アメリカにはハロウィンってのがあるのね」と一気に周知されたのである。

だったら、この33年前あたりが「日本式ハロウィンの原点」になるのかと思うかもしれないが、それも違う。

キデイランドが、『日本では、1970年代からキデイランド原宿で10月のシーズンイベントとして店頭においてハロウィーン・グッズの販売に力を入れるようになり』(キデイランドプレスリリース2012年10月23日より)と述べているように、「1983年」のかなり以前から、日本にどうにかして「ハロウィン」という風習を定着させようとしていた人々がいたのだ。

その中ではやはりキデイランドがダントツで有名だが、実はもう1社、日本のハロウィンを盛り上げ続けてきた「陰の功労者」がいる。

神戸市にある洋菓子メーカー、モロゾフだ。

自社Webサイトの「モロゾフの歩み」の中で、1976年に「ハロウィーン展開の開始」と明記されているように、ここは40年も前にハロウィンキャンペーンをスタートしているのだ。

たまたまでしょ、と思うかもしれないが、モロゾフは「先見性」のある菓子メーカーとして知られており、1933年に日本で初めてピロシキを発売、1936年に英字新聞『ジャパンアドバタイザー』に日本で初めてバレンタイン広告を掲載している。日本にバレンタインという風習を広めたのは、森永だ、伊勢丹だと諸説あるが、実はモロゾフが「仕掛け人」だという説も根強く支持されているのだ。

そんな先見性のあるメーカーがまたまた「ハロウィン」という新基軸を打ち出せば、周りも放っておくわけがない。

●ハロウィンが存続の「危機」

事実、このモロゾフの「ハロウィンキャンペーン」はすぐに同業者に広がり、第三代森永製菓社長の森永太平氏が会長を務める「全国菓子協会」が1981年から大々的に「ハロウィンキャンペーン」をスタートさせる。

『バレンタインデーを日本に持ち込んでチョコレートを売りまくり、味をしめた菓子業界が、今度は、欧米で盛大に行われているキリスト教の祭事「ハロウィーン」に目をつけ「十月三十一日のハロウィーンには、お菓子パーティーを開こう」というキャンペーンに乗り出すことになった』(日本経済新聞 1981年10月12日)

つまり、モロゾフにのっかった菓子業界が一丸となって「秋の記念日商戦」をつくりだそうとしていたところへ、サンリオやソニープラザなどの玩具、雑貨、文具を扱う業界も加わって、じわじわとキャンペーンが始まっていたところへ、『E.T.』の歴史的ヒットで一気に知名度が上がったのが「1983年の真実」なのだ。

ただ、これで「ハロウィン」がトントン拍子で、日本社会に浸透したかというとそうでもない。1997年に始まったカワサキハロウィンが当初150人程度しか集まらず、主催者が『今だから言えますが、半分は仕込みでした』(AERA 2014年10月27日)と振り返るように、実は1980年代後半から1990年後半にかけて日本のハロウィンは存続の「危機」を迎えていたのである。

なぜか。実はこの時期、百貨店など小売業界で、そこまで「ハロウィン」は稼げるネタとして期待されていなかった。1992年に米国に留学中だった高校生が、友人のハロウィンパーティーに招かれて仮装して出かけたものの、家を間違えて射殺されるという悲劇が報じられたことで、ネガティブなイメージが広まっていたこともあるが、なによりも10月の記念日商戦の「大本命」とされていた別のイベントがあったからだ。それがよく分かる言葉を、西武百貨店渋谷店の売り場担当者が述べている。

『昨年あたりから始めた10月31日のハロウィンも、パーティーウエアが売れる程度で、ギフト商戦としてはいまひとつ。ボスデーは業界にとってみれば格好のイベント』(朝日新聞 1988年10月13日)

ボスデー? なんじゃそりゃ? と首を傾げる方も多いかもしれないが、これは1958年に米国で始まった記念日。10月16日を「ボスの日」と定め、この日ばかりは部下が上司の苦労をねぎらって、ランチに招待したり、プレゼントを贈るというものだ。ちなみに、その逆が4月21日の「セクレタリーズデー」(秘書の日)。この2つをセットにしたキャンペーンが、80年代後半から90年代の中ごろにかけて、百貨店業界でゴリゴリに行われていたのだ。

●「ボスデー」が衰えた理由

この時代、「ハロウィン」は菓子や雑貨・文具という、主に子供や若者を対象とした市場だった。一方、「ボスデー」「セクレタリーズデー」は企業の管理職クラスと、「消費の牽引役」であるOLがターゲット。後者のほうが客単価が高いのは言うまでもない。つまり、この2つの記念日が日本社会に定着すれば、バレンタインデーとホワイトデーのオフィス版ができるというわけだ。百貨店のみならず、ファッション、菓子、文具、雑貨などあらゆる業界が普及を望むのも納得だろう。

しかし、そんな10月イベントの「最右翼」とされていた「ボスデー」の勢いが90年代も中盤にさしかかると、ガクンと衰える。

バブル崩壊だ。

このあたりを境に、管理職やOLたちの財布の紐(ひも)が急にかたくなる。92年にトシちゃん主演で映画化された『課長 島耕作』みたいな、「女性関係も仕事もバリバリこなす」みたいなマッチョな「ボス」も少なくなるにつれ、「ボスデー」「セクレタリーズデー」は下火になっていく。そこでまるで入れ替わるように、90年代後半から「ハロウィン」の存在感が増していったのである。

誤解なきように言っておくが、今も「10月16日はボスデー」と普及に努めている人々がいる。生花業界などだ。「日頃の感謝をこめて上司に花を贈ろう」というキャンペーンである。ただ、残念ながら今の日本社会で、かつてのような「ボスデー」「セクレタリーズデー」普及キャンペーンを続けていても、なかなか厳しいのではないだろうか。

●日本で「ボスデー」が定着する日

日本の「ブーム」や「流行」をすべて取り仕切っている、と言われる電通では、女性社員が「過労自殺」をしたことからも分かるように、「部長、いつもありがとうございます」なんて呑気に花を贈れるような労働環境ではない。

それは他の企業も同様だ。「パワハラ」や「社内いじめ」のニュースが火災や交通事故のように日常的に報じられる今の日本社会で、「オフィス版バレンタインデー」が普及できるだろうか。できないだろうなあやっぱり。

そこで提案だが、「ボスデー」の意味をガラッと変えてみてはどうだろう。この日ばかりは普段は絶対に口にできないような上司への不満、弱音、SOSを口にする。上司側はそれを甘えだとか、なんだと反論をせずに真摯(しんし)に受け止める。

「部長、あなたのやっていることはパワハラです」

「もう限界です。このままいったら自分、どうなるか分かりません」

そうして自分の心情を赤裸々にぶちまけた勢いで今の「ハロウィン」ばりに、街で仮装パレードでもして大騒ぎをすればいい。「パワハラやめないと、いたずらしちゃうぞ」とか言って。

「ふざけてる」「バッカじゃないの」と思う人もいるかもしれないが、大真面目だ。ここまでパワハラや過労死が問題になるのは、日本人がまじめ過ぎるからだ。そういう国民に必要なのは、上司へ日頃の感謝を伝えようなどという建前的なイベントではなく、不平不満を吐き出させるイベントなのではないのか。

「ボスデー」がすたれて、「ハロウィン」というお祭り騒ぎが定着したのはその証である。大手百貨店や広告代理店のみなさん、いかがでしょう。きっと盛り上がりますよ。

参照元 : ITmedia ビジネスオンライン




かぼちゃと悪魔の祭典!ハロウィンの起源と歴史について

2016年10月17日



ハロウィンの季節ですね。ハロウィンは日本では、今でこそ年に一度の一大仮装イベントとして定着していますが、起源は約2500年前、ケルト民族のいたアイルランドとされています。

それから後世において、ハロウィンは時代の流れとともに形を変え、世界各地に広がっていきました。元々単なる仮装イベントでないことはみなさんご存知でしょう。その由来は、一般的には「夏の収穫祭」や悪霊を追い払うための「魔除け」の意味が込められた行事として知られています。私もそう習いました。

しかしそこにはもっと深く恐ろしい由来があったのです。

ハロウィンの起源

起源は約2500年前のアイルランド地方で、古代ケルト人により生まれたドルイド教のサウィン祭という宗教儀式です。サウィンとは死神のこと。上記には「夏の収穫祭」、「魔除け」の行事とありますが、実際は悪魔大感謝祭なるものでした。

10月31日は、あの世とこの世がつながり、死者の霊や悪霊がこの世に帰ってくる日と信じられていて、悪霊を追い払うために人々は恐ろしい仮装で悪霊を驚かせようとする慣わしがありました。

では何故、死者や悪霊が帰ってくると信じられていたのか。

まず、ケルトの暦では日本のお盆のように死者の霊や悪霊がこの世に帰って来るとされた日であること。そしてドルイド教という悪魔崇拝者の集団が生贄の儀式を行っていたため、悪霊が解き放たれる日とされたことが理由です。

ドルイド教の信者たちは人間を生贄にするサウィン祭という儀式を執り行なっていたのですが、人々の仮装は儀式による災いを取り除こうとするもので、実際はハロウィンの起源は生贄の儀式の方にあるとする見方もあります。

悪魔崇拝

10月31日 ハロウィンの本当の起源はドルイド教の宗教儀式ですが、それが執り行われた10月31日とは古代ケルト人にとって、どんな日だったのか?

地球の北半球に住む古代ケルト人にとっては1年のほとんどが夏か冬でした。古代ケルト人にとって、昼の時間が長い「夏」の終わりが1年の終わりとされ、それが10月31日でした。そして夜の時間が長い「冬」の始まりが1年の始まりとされ、11月1日からが新年の始まりでした。

そこには夜=闇の時間が長い冬は、悪魔の季節の始まりという意味合いもあったとかなかったとか。夏の終わりである10月31日は、夏の収穫祭として祝われましたが、それだけではありませんんでした。

トリック オア トリート

サウィン祭の日には夏の収穫を祝うと同時に、ドルイド教の人たちは悪魔に生贄を捧げていました。この生贄の儀式ですが、火を焚いて、子どもたちや女性を火にかけ、信者たちが崇める太陽神バールに捧げるというもの。

その際に檻を作るのですが、ウィッカーマンと呼ばれる編み細工(ウィック)でできた人型の檻に生贄の人たちが押し込まれ焼かれていました。その宗教団体は夜に黒い服とフードをかぶり、家々を訪ね歩いては生贄を欲していたのですが、ハロウィンでお馴染みの「トリック オア トリート」という言葉。

現在のハロウィンでは「お菓子をくれないといたずらしちゃうよ」という意味ですが、これはもともと生贄を探す時に使われた言葉でした。「生贄(トリート)を差し出さないとこの家に災い(トリック)を起こすよ」というわけです。災いとはその家に住む誰かが死ぬというもの。

生贄を差し出すとドルイド僧はその家にジャック・オー・ランタンを置き、生贄に免じてその家の者は殺さないようにとの目印にしたようです。もし生贄が気に入らない場合、その家のドアに六芒星を書き、その家の誰かが悪霊によって殺されるという目印にしました。

ジャック・オー・ランタン



現在のハロウィンではかぼちゃの提灯のお守りとして知られますが、それはサウィン祭がアメリカに渡って、ハロウィンに変わってからの話。この当時はかぼちゃではなくカブが使われ、何とその中には人間の脂肪が詰まってました。恐ろしい。

何故かぼちゃに変わったかは後ほど。

ハロウィンの移り変わり



サウィンからハロウィンへ

その後、4世紀に入るとケルト民族はカトリック系の民族であるローマ帝国に支配されてしまいます。ドルイド教が勢力を失いカトリック系キリスト教が勢力を拡大する時代の中で、ケルト民族が完全にカトリックに改宗するのではなく、一部ケルト民族の風習を残し取り入れていく動きがありました。

その動きの一つが、サウィン祭を根絶せずに、生贄の儀式を取り除く形で自分たちの宗教の行事に都合よく取り込んでいきました。その結果、ローマカトリックは11月1日を全ての聖者、殉教者を記念する万聖節とし、ハロウィンをその前夜祭とするということにしました。

ハロウィンの言葉の由来としては、聖者を意味する「Hallow」と晩を意味する「evening」をくっつけたという説があります。ここで悪魔崇拝をし、生贄の儀式をするサウィン祭は一般的ではなくなっていきました。元々キリスト教の儀式ではなかったハロウィンが、キリスト教の行事として世間に広がっていきます。

そしてアメリカへ

18世紀にアイルランドで大規模な飢饉が起きます。それをきっかけに多くのケルト人(150万人とも言われる)がアメリカに移住しますが、その時にハロウィンの風習がアメリカに持ち込まれるわけですね。

その時にこれまでカブで作られていたジャック・オー・ランタンが、かぼちゃに変わったのです。理由は単純で、当時アメリカにはカブが栽培されておらず、かぼちゃは大量にあったからです。かぼちゃである理由はたったそれだけのこと(笑)

かぼちゃの方が大きくて色鮮やかだし、いいですよね。19世紀にはハロウィンがアメリカでも定着し、どうにかこうにかして現在のハロウィンとなりました。日本でのハロウィンはアメリカのやり方が主流です。日本へ伝わったのはアメリカからなので当然といえば当然ですが。

まとめ

ハロウィンの起源から現在のハロウィンまで2,000年以上という長い長い道のりでしたね。現在では楽しいイベントとしてのハロウィンの起源が元々そんなに残酷で恐ろしい行事から来てるとは驚愕です。

時代を作るのは人であり、時代や科学の発展とともに人の価値観や考え方が変わり、それが人々の伝統行事や習慣に影響を与えるのはハロウィンに限らず、あらゆるケースで言えることでしょう。

暗く残酷なことが明るく楽しいことに変わっていくことは、きっと人々の願いや希望が込められた流れであり、歓迎すべきことであると思います。私たちも時代の流れの中で生きているわけで、そういった知識をもちつつ今のハロウィンを楽しめばいいのです。

参照元 : トレンドニュース


ハロウィンは最凶の悪魔の祝祭

-日本でも年々ハロウィンが盛大になってきている。この祭の持つ恐ろしさを知らずに、若者を中心に「ここぞ」とばかりに異様な仮装をしてはしゃぎまわっているようだ。いい気なもんだ。というよりあまりにも無防備である。悪魔勢力の仕掛けに対して。

ハロウィンという最凶の悪魔の祭についての阿修羅掲示板記事(ただし昨年記事)を転載したい。読者の方々はこれをしっかりお読みになり、サタニズムをばら撒くだけのこんな悪魔祭にくれぐれも参加することのないようにしていただきたいものである。なお転載文中に適宜画像を挿入させていただいた。 (大場光太郎・記)-

ハロウィン-日本に入り込んできた暗黒魔王の祝祭 ハロウィンは子供の生贄を大魔王に捧げる夜 以前は精神的に有害なので禁止

投稿者 てんさい(い) 日時 2014 年 11 月 01 日 07:41:01

今日は、古代ケルトにルーツを持つハロウィン(サムハイン祭)の日。クリスマス同様、誰をお祝いしているのかを知ったら、血の気が引くかもしれません。

誰のために祝っているのか、実は誰も知らない

化け物仮装行列、ハロウィンが今年も日本各地で盛況でした。規模は年々大きくなるばかりで、人々の潜在的なパフォーマンス願望やメタファー願望が「何か」を引き寄せています。

国内最大のハロウィンは、毎年、神奈川県川崎市で行われているハロウィン・パレード。第18回目を迎える今年(10月26日)は、主宰者側の発表によると、仮装した人2500人、沿道の見物人を含めると11万人だったとか。でも、ただ歩いているだけです。(動画)



(「ハロウィン川崎2015」から)

川崎駅東口以外でも、フジテレビがお台場で売れないタレントをかき集めて「T-SPOOK 東京ハロウィンパーティー」(10月25日)を開催、もちろん、あのディズニーでも毎年、恒例のイベントとなっています。

毎年、10月下旬は、もう日本中がハロウィン、ハロウィン。いつ頃から、こんな風になってしまったのでしょうか。しかし、ハロウィーンを祝うほとんどの人々は、それらが実際に何を祝っているか、まったく知らないのです。これは、驚くべきことです。大丈夫なのか、ニッポン。

なぜ急激に、ここまでハロウィンが全国に普及してしまったのか・・・それは主催者の大元を探る必要があります。綿密な計画性を感じます。ハロウィンのような、仮装して外面が別人になると、急に解放される日本人にとって、もっとも馴染みやすいフェスティバルなのでしょう。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」です。



(アメリカンハロウィンは真に迫ったものがけっこう多い)

ハロウィンの本場は、もちろんアメリカです。今年、アメリカ人のおよそ70パーセントがハロウィーン祭典に、なんらかの形で参加したといいます。しかし、彼らは、ハロウィンが何千年もの昔から続く悪魔的催事で、そのルーツが異教徒にあることを知りません。彼らは、あくまで豊穣を祝う祝祭だと思い込んでいるのです。

悪魔を祝う催事は、他にもたくさんあります。

イースター、バレンタイン・デー、そして、なんとクリスマスも・・・まったく馬鹿げたことです。自分から進んで魂の自殺現場に向かう人々。

これらを最初に仕掛けたグループは、いわゆる「アンチ・キリスト」の人々です。それは、グノーシス主義者であり、秘密結社です。彼らの洗脳方法は非常に巧妙なので、人々が簡単に騙されてしまうほど無知だとしても許容されるでしょう。

しかし、問題は、自分たちが参加している祝祭イベントが、いったい何を、誰を祝っているのか知ろうとしないことです。これは無知ではありません。思考力を奪われてしまった証拠です。それは、「憑依」されてしまったからです。

このフェスティバルは、近年、悪魔崇拝者である仕掛け人が「ハロウィーン」と名付けたことによってその正体が覆い隠されてしまいましたが、かつて知られていたのは「サムハイン祭(Samhain)」です。

ハロウィンとは、サムハイン祭のことなのです。



(サムハイン祭)

サムハイン祭はキリスト生誕以前にルーツを持つ祝祭で、最も初期のアイルランド文学の中で言及されています。古代ケルト人は、サムハイン祭のときには、心霊世界と私たちの現実世界との間にある幕が引き上げられ、死者の霊魂が、生きとし生ける者たちと自由に混じわることができる時であると信じていました。

また、ハロウィンのベル(Bel)、あるいは、クロム(Chrom)として知られている死者の主(死神)を称えるための日でもあったのです。ベル(Bel)は、バアル神(Baal)との類似点があることに注目です。Baalは、いろい名前を変えてはいますが、暗黒世界の魔王のことです。

だから、ハロウィンは、悪魔の大魔王をお祝いする祝祭なのです。

ジャック・オ・ランタン(jack-o’-lantern)や、トリック・オア・トリート(子供達が仮装をして各家庭を回り、「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」と言ってお菓子をもらうこと)、ハロウィン用の衣装などは、古代ケルトの慣習に根差しています。



(トリック・オア・トリートの例)

初期のアメリカの多くの地域では、ハロウィーンは非常に精神的に有害なので、禁止されていたのです。しかし、今日、ほとんどのアメリカ人は、それを祝うことに関してなんら抵抗しなくなってしまいました。習慣とは恐ろしいものです。マスメディアによる長年の洗脳がこうも簡単に人々を思考を奪ってしまうのですから。

そして、それは日本にも完全に根付いたのです。

もっとも、アメリカ人にしても、日本人にしても、ハロウィーンは、アイデアをふんだんに盛り込んだ気味の悪い衣装に身を包み、ある者は、ここぞばかり盛装し、キャンディーを食べて、パーティーに出席する、実に楽しい時間でしかないのです。自分たちが、何に駆り出されているのかなど、興味がないのです。

一般の無知な人々が、単純にハロウィンを楽しみ、無自覚のまま悪魔崇拝に引き込まれている脇では、ハロウィンを真剣に受け止めている者たちがいます。当然、日本にもいます。それは魔術崇拝者です。彼らにとって、ハロウィンは、1年のうちでもっとも重要な時間なのです。

ローマ・カトリックによってハロウィンは現代に生き延びた

さて、ハロウィンの本当の正体-サムハイン祭についての手身近に説明しておきましょう。

以下は、wicca.comからの引用です。

サムハイン(SOW-in, SAH-vin, or SAM-hayneと発音する)は、「季夏(夏の終わる頃)」を意味しています。そして、三番目の「最後の収穫」の意味です。その年の暗い冬の半分は、このサバト(魔女のお祭り)から始まるのです。

それは10月31日に一般に祝われます。しかし、いくつかの伝統では11月1日に開催されることを好みます。

ハロウィンは、毎年訪れる二つの「霊的な夜」のうちの一つです。他方はベルテーン(Beltane)祭と言います。ベルテーンとは「ベルの火」という意味です。 ベルとは、バアル神のことで、ユダヤ・キリスト教では「悪神」とされている神です。

ハロウィンは、時間と空間の現世的な法則が一時的に停止する魔法のインターバル(合間)のことです。また、そのとき、両方の世界の間を仕切っているベールが捲り上げられます。このときには、霊の世界と現界の仕切りが取り払われて、先祖やこの世を去った愛する人と交信することができるようになります。

というのは、そうした霊は、サマーランド(霊の上層階)に向かう道すがら、この現界を旅するからです。ハロウィンは幽冥の神秘を学び、老婆(Crone)と彼女の年老いた配偶者(Consort)としてシンボライズされた「暗黒の母」と「暗黒の父」を敬う時です。もともとは、ケルトの国々で、霊魂のために祭壇と戸口の上り段に食物をお供えすることによって祝う「死者の祝宴」のことです。今日でも、開業医の多くが、その伝統を踏襲しています。

先祖やこの世を去った愛する人の霊魂を家に導く手助けになるよう、ろうそくを1本ずつ、窓に立てます。“目に見えない来客”が座れるように、椅子をテーブルや囲炉裏の近くに置きます。失われた魂、あるいは、子孫を残すことができなくなった魂を慰めるために、リンゴが道端や歩道に沿って埋められていました。

野菜のカブは、そうした魂を保護するかのように、くりぬかれたり刻まれます。というのは、これは魔法の夜、カオスを象徴するからです。ハロウィンの夜は、いたずら好きの霊魂は、疑うことを知らない人間たちに悪さをしようと活発に動き回りまります。だから、暗くなってから旅をすることは薦められなかったのです。

人々は、そうした悪さをする霊魂を騙すために、幽霊のように白い衣に身を包んだり、藁で仮装したり、男女逆の装いをしたりしました。古代ケルトでは、幽界から未成仏霊が出てくるところなどは、日本のお盆でも、おキツネが出てくるところと重なります。

なぜ、キリスト教から見れば異教徒の祝祭であるサムハイン祭が、世界中でお祝いされる「ハロウィーン」として定着したのでしょうか。7世紀前半に、グレゴリウス1世として知られていたローマカトリックの教皇は、カトリック教の布教を継続して行えるようにするための最良のアプローチ法は、既存の異教徒の祝日や慣習をキリスト教化することであると決めたのです。

キリスト教徒が、サムハイン祭のような「異教徒の祝日」を一掃しようと努力した結果、キリスト教徒は異教徒の文化・形式の中に大きな転換をもたらすことに成功したようです。西暦601年に、グレゴリウス1世は、彼が転換しようとした異教徒たちの従来の信条や慣習に関わっている宣教師たちに、かの有名な勅令を発布しました。

ローマ教皇は、在来の民族の慣習や信条を消そうとするのではなく、それらを利用するように彼の宣教師たちに命じたのです。一群の人々が木を切るより木を崇拝したならば、ローマ教皇は、その木をキリストに捧げ、かつ、その木を崇拝し続けることが許されるように彼らに助言したのです。

ハロウィンは子供の生贄をささげる夜

万聖節(All Saints Day または、All Hallows Day)という既存のカトリックの祝祭は、サムハイン祭と同時に移されました。それで結局、「Hallow(神聖な)+eve(前夜)」は、ハロウィンとして知られることになったのです。しかし、古代のケルトの伝統の多くは消えることなく、そのまま温存されたのです。

ほとんどの人々は、ハロウィンの暗い世界を知ることなく、豊穣を祝っています。これらの古代の伝統のうちのいくつかには、人身御供が含まれていることも知らずに。

以下は、オカルトの専門家、ビル・シュネーバレン(Bill Schnoebelen)が、ドルイド僧が毎年この時期にやってきたことである、と言っていることです。



(ドルイド僧のイメージ画)

ドルイド僧はベル(バアル神のことか)あるいはクロム(Chrom)といった名前で呼ばれた太陽神を崇拝していました。ドルイド僧は、太陽神が10月31日に死に、その後、死の王国、アンウィン(Anwynn)に行ったと信じています。

サムハイン祭の目的は、太陽神の復帰に保険をかけることでした。それかせ「生贄」です。魔女さえ、サムハイン祭には人間の犠牲が含まれていることを認めています。動物と人間の血液の両方が、サムハイン祭におて、ベルを生き返らせるために必要であると考えられています。

人間の血液は、死の王国、Anwynnの門を開くと考えられ、夜に向けて霊を解き放つと信じられていたのです。こうしたことから、10月31日は、幽霊に関係するようになったのです。これは、単に歴史とは言えないものです。サムハイン祭は、異教徒によって、いまだに祝われており、彼らの「宗教のカレンダー」では、もっとも厳粛なセレモニーになっているのです。

もちろん、このことを教示しているのはビル・シュネーバレンだけではありません。実際、ナショナル・ジオグラフィックの1977年5月の記事には、ハロウィンとは、「最初に生まれた子供が犠牲として捧げられる」時のことであると認められていると書かれています。

つまり、ハロウィンとは、今日、アメリカ人の大半が祝っているような陽気で明るい祝祭などではないのです。他のハロウィンの伝統もまた、古代ケルトのドルイドの慣習に根差しています。因みに、ドルイドの生贄の儀式は凄惨を極めるものであったことは、よく知られていることです。

たとえば、ジャック・オ・ランタンが、どこから来たのか。ここに、ビル・シュネーバレンの解説があります。

アメリカでは、カボチャが使われていますが、ヨーロッパでは、多くの場合(野菜の)カブ、あるいはその中のろうそくを入れた髑髏が使われています。カボチャやカブを切り込んで作る恐ろしい顔は、その祝祭の夜、非力な悪魔を追い出す神、サムハインを表しています。

ジャック・オ・ランタンの中の灯りは、「妖精の火」、あるいは「鬼火」を記号化したものです。これは夜じゅう徘徊する道に迷った魂であると考えられました。



(ジャック・オ・ランタン)

コスチュームを着て盛装し、トリック・オア・トリートに出かける伝統は、これもまたドルイドから来ているものです。以下はCBN.comにポストされた記事からの抜粋です。

たとえば、古代のドルイドでは、「家々の周りに群がると考えられていた幽霊は、御馳走が並べられたテーブルに迎え入れられた、とあります。祝宴の終わりには、仮面をかぶり、コスチュームを着た死者の魂を代表する村人が、村の周辺を行進しながら幽霊たちを遠くに連れていく」という話があります。

先に述べたように、ハロウィンとは、いたずら好きな悪霊が、自由に徘徊する夜のことであると考えられていました。現代のポルターガイスト伝説のように、いたずらを働く霊は、生きものたちをからかうので、それで、コスチュームを着ることによって彼らから「隠れる」ことは有利だと考えたのです。

マスクとコスチュームは、幽霊を脅して追い払うか、あるいは幽霊に見つからないようにするために着用されました。アイルランドでは、ハロウィーンの日没後は幽霊と霊魂が歩き回ると考えられました。彼らは、霊魂を寄せ付けないように、ロウソクやランプを点けたのです。

また、彼らが外出するときは、霊魂を怖がらせたり、霊魂が人間と分からないようにするために、コスチュームやマスクを着けて出かけたのです。こんなこと迷信さ。「私には関係ない」と言うかも知れません。しかし、関係なくても入ってきてしまうのです。

悪魔崇拝者にして有名なオカルト著述家として知られているアントン・ラヴェイが書いた「サタニック・バイブル」の96ページに、このように書かれています。

「自分の誕生日後、二つの大きな悪魔の祝日は、ヴァルプルギスの夜(Walpurgisnacht:4月30日の夜)と、ハロウィンである。」



(ヴァルプルギスの夜 ゲーテ畢生の大著『ファウスト第1部』でも描かれている。)

事実、アントン・ラヴェイは、1966年4月30日のヴァルプルギスの夜に、カリフォルニア州サンフランシスコに「悪魔教会」を設立しました。ラヴェイは1997年に死去するまで教会の司祭長を務めたのです。



コルナ(corna)という指でつくる、あるロックミュージシャンなどが、よくやっているハンドサイン。これは、動物の「角」を表しています。それは、悪魔のバフォメットをかたどったシンボリズムとも言われています。悪魔崇拝者であることを表明するときのサインです。

もっとも分かりやすいは、ディズニーが日本の子供たちの夏休みに合わせた映画「Maleficent」のアンジェリーナ・ジョリー演じる悪魔。



これこそが、バフォメットです。アンジーは、日本の子供たちに対するサタニズムの布教を請け負ったのです。親は、もっと敏感にならなければならない。

下の動画は、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアナハイム市のディズニーランド。このお土産物店の中に、バフォメットをかたどったものが、いくつかあります。見つけられますか?



ディズニー?ディズニーはサタニズムのオカルト磁場です。コルナは、1960年代に、アントン・ラヴェイによって広められた悪魔崇拝のマークであることは、世界中の多くの人の知るところとなっています。





悪魔教会でコルナを普及させるアントン・ラヴェイ



(そして、こんなやんごとなきお方までコルナサイン)

このように、本人が知っていようが、そうでなかろうが、サタニズムは、そっと忍び込んでくるのです。すると、その人間たちは、サタニズムの布教者として使われることになります。要するに、ハロウィンの参加者も、サタニズムの布教に駆り出されている、ということです。滑稽でもあり、なんとも悲しいことです。

まだ、ほとんどの人が、ハロウィンが精霊と触れ合うための夜であると本当に信じているのです。ハロウィンの夜、人々は知らないうちに魔界と接触していることになるのです。とにもかくにも、子供にゾンビや吸血鬼の格好をさせて、お祭りだなどと騒いでいる大人たちは、頭がおかしいか、商売のためにやっているか、どちらかだということです。

(転載終わり)

参照元 : 今この時&あの日あの時

0 件のコメント:

コメントを投稿